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1: 征夷大将軍 ★ 2024/06/13(木) 06:47:16.71 ID:F7OwS3ty9
ナンバー
https://number.bunshun.jp/articles/-/861885
昨年の今ごろだったか、廣瀬隆太内野手(現・ソフトバンク)の取材で、慶應義塾大学の野球部グラウンドにおじゃましたことがある。授業優先ということだったが、それでも50人以上の選手たちが練習する広いグラウンドで、ざっと見渡しただけなのに、向こうのほうからポーンと私の目の中に飛び込んできた選手がいた。
昔の言い方で「8頭身」。頭が小さく見えて四肢がのびやかに長い。腰の位置が、ほかの選手と違って見えた。逸材は、探さなくても、向こうのほうからこっちの目に飛び込んでくる。私の中にある絶対経験則の1つである。
「あれが、清原さんです!」
近くの選手に訊いたら、そう答えたから驚いた。
「あれが、東京スカイツリーです!」……同じ表現だ。
■際立っていた清原正吾の「オーラ」
その頃の清原正吾選手は、リーグ戦のメンバーには入っていたものの、まだレギュラーではなかった。それでも、すでにして、慶應義塾大学野球部のランドマークタワーとしてそびえ立っているのか。確かにオーラはすごかった。守備練習でノックのゴロを捕り損なって横に逸らしても、その逸らし方がかっこよかった。顔をしかめて、言いわけがましく悔しそうになんかしない。パッと作った笑顔がすごく前向きに見えて、ボールを拾って一塁に投げるアクションが、もう一度かっこよかった。清原の時って甲子園出たんだっけ、慶應高校。いつの間にかそんな自問の答え探しの中に迷い込んでいた。
6月2日、早稲田大学の優勝で幕を閉じた春の東京六大学リーグ戦。慶應義塾大・清原正吾選手は、打率.269をマークし、リーグ最高の5二塁打を放って、「一塁手」としてベストナインに選ばれた。この春の清原選手は、常に打線の3番、4番に座り、毎試合ほぼコンスタントにヒットを放っていた。
慶應打線が明治大投手から4安打完封に抑えられた試合でも、ただ一人2安打(1二塁打)を放ち、8回まで無失点に抑えられていた立教大戦では、9回に決勝二塁打。やはり、チームでただ1人3安打の奮闘を見せた。清原選手が慶應高当時、アメリカンフットボール部に所属してプレーに打ち込み、野球は大学に進んでから本格的に始めたことは、報道の中でももうあまり話題にならなくなった。
「いや、もう普通に野球の選手ですよ。お父さんの遺伝かどうか知りませんけど、野球が上手です」
私がてっきり慶應高校「野球部」出身だと勘違いした昨年の夏、堀井哲也監督もそう太鼓判を押していた。翌年、4年生になったらおそらくレギュラー……そこまで示唆して、堀井監督もすごく楽しみにしておられた。
■スカウトたちが語る「リアル・清原正吾」評は…?
一昨年の萩尾匡也(外野手・巨人2位指名)、昨年の廣瀬隆太(内野手・ソフトバンク3位指名)……2年連続で、打線の核となったバットマンたちが、ドラフト上位でプロ野球に進んだ慶應義塾大。
ならば、「清原正吾」で、今年も3年連続があるのか? スカウトの方たちに訊いてみた。
「ダメ、ダメ……清原さんの息子さんの批評なんかできませんよ、おそれ多くて」
そういえば、「あの清原和博選手の長男」という取り上げられ方も、最近はずいぶんなくなって、「結果」で報道されるようになった。
「正直、ちょっと驚いてます。私、この春に初めて実戦を見たんですけど、聞いたら去年まで1本しかヒット打ってないらしいじゃないですか。ほとんどリーグ戦デビューみたいな選手なのに、ぜんぜんビビったりもしないで慶應の4番を打って、こないだの試合(立教大戦)なんて、初球のスライダー振り抜いて、レフトオーバーの2点タイムリーですよ。『血』って言ってしまえば、それまでですけどね。プロってそういう、人に出来ないことを平気でやってしまう人たちの集まりなのかもしれないですね」
まだ見せていない爆発力は計り知れないんじゃないか。「私などには評価不能!」とそのスカウトの方は結論付けてくれた。
「監督の堀井さんがいいんですよ、既成概念にとらわれない人だから」
全く違った切り口のスカウトの方もいた。
「アメラグやってたのなんか……って人じゃない。逆に高校でアメラグやってた選手が大学の本格的な野球でどこまでやれるのか、見てやろうじゃないか……みたいなね。本質を見抜こうとする人ですから」
ならば、プロの可能性はどうなのか?
「それは、堀井さんの腹の中でしょう」
スルリと逃げられてしまった。
■指名にも影響を与え得る「父・和博」の存在
だいぶ前の新聞報道で、堀井監督が「今年の2季で10本塁打すればプロも」という記事に接したことがある。
※以下リンク先で
https://number.bunshun.jp/articles/-/861885
昨年の今ごろだったか、廣瀬隆太内野手(現・ソフトバンク)の取材で、慶應義塾大学の野球部グラウンドにおじゃましたことがある。授業優先ということだったが、それでも50人以上の選手たちが練習する広いグラウンドで、ざっと見渡しただけなのに、向こうのほうからポーンと私の目の中に飛び込んできた選手がいた。
昔の言い方で「8頭身」。頭が小さく見えて四肢がのびやかに長い。腰の位置が、ほかの選手と違って見えた。逸材は、探さなくても、向こうのほうからこっちの目に飛び込んでくる。私の中にある絶対経験則の1つである。
「あれが、清原さんです!」
近くの選手に訊いたら、そう答えたから驚いた。
「あれが、東京スカイツリーです!」……同じ表現だ。
■際立っていた清原正吾の「オーラ」
その頃の清原正吾選手は、リーグ戦のメンバーには入っていたものの、まだレギュラーではなかった。それでも、すでにして、慶應義塾大学野球部のランドマークタワーとしてそびえ立っているのか。確かにオーラはすごかった。守備練習でノックのゴロを捕り損なって横に逸らしても、その逸らし方がかっこよかった。顔をしかめて、言いわけがましく悔しそうになんかしない。パッと作った笑顔がすごく前向きに見えて、ボールを拾って一塁に投げるアクションが、もう一度かっこよかった。清原の時って甲子園出たんだっけ、慶應高校。いつの間にかそんな自問の答え探しの中に迷い込んでいた。
6月2日、早稲田大学の優勝で幕を閉じた春の東京六大学リーグ戦。慶應義塾大・清原正吾選手は、打率.269をマークし、リーグ最高の5二塁打を放って、「一塁手」としてベストナインに選ばれた。この春の清原選手は、常に打線の3番、4番に座り、毎試合ほぼコンスタントにヒットを放っていた。
慶應打線が明治大投手から4安打完封に抑えられた試合でも、ただ一人2安打(1二塁打)を放ち、8回まで無失点に抑えられていた立教大戦では、9回に決勝二塁打。やはり、チームでただ1人3安打の奮闘を見せた。清原選手が慶應高当時、アメリカンフットボール部に所属してプレーに打ち込み、野球は大学に進んでから本格的に始めたことは、報道の中でももうあまり話題にならなくなった。
「いや、もう普通に野球の選手ですよ。お父さんの遺伝かどうか知りませんけど、野球が上手です」
私がてっきり慶應高校「野球部」出身だと勘違いした昨年の夏、堀井哲也監督もそう太鼓判を押していた。翌年、4年生になったらおそらくレギュラー……そこまで示唆して、堀井監督もすごく楽しみにしておられた。
■スカウトたちが語る「リアル・清原正吾」評は…?
一昨年の萩尾匡也(外野手・巨人2位指名)、昨年の廣瀬隆太(内野手・ソフトバンク3位指名)……2年連続で、打線の核となったバットマンたちが、ドラフト上位でプロ野球に進んだ慶應義塾大。
ならば、「清原正吾」で、今年も3年連続があるのか? スカウトの方たちに訊いてみた。
「ダメ、ダメ……清原さんの息子さんの批評なんかできませんよ、おそれ多くて」
そういえば、「あの清原和博選手の長男」という取り上げられ方も、最近はずいぶんなくなって、「結果」で報道されるようになった。
「正直、ちょっと驚いてます。私、この春に初めて実戦を見たんですけど、聞いたら去年まで1本しかヒット打ってないらしいじゃないですか。ほとんどリーグ戦デビューみたいな選手なのに、ぜんぜんビビったりもしないで慶應の4番を打って、こないだの試合(立教大戦)なんて、初球のスライダー振り抜いて、レフトオーバーの2点タイムリーですよ。『血』って言ってしまえば、それまでですけどね。プロってそういう、人に出来ないことを平気でやってしまう人たちの集まりなのかもしれないですね」
まだ見せていない爆発力は計り知れないんじゃないか。「私などには評価不能!」とそのスカウトの方は結論付けてくれた。
「監督の堀井さんがいいんですよ、既成概念にとらわれない人だから」
全く違った切り口のスカウトの方もいた。
「アメラグやってたのなんか……って人じゃない。逆に高校でアメラグやってた選手が大学の本格的な野球でどこまでやれるのか、見てやろうじゃないか……みたいなね。本質を見抜こうとする人ですから」
ならば、プロの可能性はどうなのか?
「それは、堀井さんの腹の中でしょう」
スルリと逃げられてしまった。
■指名にも影響を与え得る「父・和博」の存在
だいぶ前の新聞報道で、堀井監督が「今年の2季で10本塁打すればプロも」という記事に接したことがある。
※以下リンク先で
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